要旨



 本論文は、現在は日常用語として使われている「なつメロ」という語及び音楽カテゴリーがいつどのように誕生したのであるか、また、昭和40年代 (1965〜1974年)の「なつメロ」ブームはどのようなブームであったのであり、また、これによってどのような影響を当時及び後世の社会に伝えたので あろうか、という問いに答えていくことをテーマとする。戦後日本における「なつメロ」カテゴリーの形成、そして昭和40年代(1965〜1974年)の 「なつメロ」ブームの勃興にしても、マスメディアの影響力無くしては成り立たなかった。一方で、いくらメディアが「なつメロ」カテゴリーの形成や「なつメ ロ」ブームの勃興に対しての仕掛け役であったとしても、それを支持する層が存在し得なければ成り立たない。戦後日本の高度経済成長下にあって、メディアの 日々の発達の中で、当時の人々がそれらとどのように付き合いながら、価値観の多様化を図っていったのか。「なつメロ」の成立と「なつメロ」ブームの勃興を 考察していく中で、本研究は、広い意味ではこういった問いを考えていく上での示唆になると考えている。
 「なつメロ」というカテゴリーは、昭和20年代(1945〜1954年)に、当時日本人の主要なメディアであったラジオから生まれた。特に、昭和24 (1949)年6月から放送を開始した、NHKラジオの「なつかしのメロディ―」という番組が、「過去のある特定の時点を人々に想起させる存在としての 『なつメロ』」が誕生する上で大きな役割を果した。「なつかしのメロディー」は、あらゆる年齢層や立場の人々を対象に、彼ら全てが「懐かしい」あるいは 「新鮮だ」という感情を呼び起こすことが出来るようにと制作された番組であった。
 NHKラジオ「なつかしのメロディー」の放送開始以後、昭和20年代(1945〜1954年)から30年代(1955〜1964年)にかけて、NHKや 民放各社のテレビ・ラジオ番組で多彩な「なつメロ」番組が次々と誕生した。そして、昭和30年代(1955〜1964年)にはリバイバル・ブームが起こっ たが、これらの「なつメロ」番組はリバイバル・ブームの中に組み込まれていった。昭和30年代(1955〜1964年)のリバイバル・ブームは、(1)青 春歌 謡やロカビリー出身の歌手など、当時の若者に人気のあった若手歌手がリバイバルしていたために、「ヤング層にはリバイバルという印象なしに浸透していっ た」 (2)ヤング層だけでなく、当時の若者向けの音楽についていけなくなりつつあったアダルト層に対しても、「戦前への郷愁として受け入れられた」  (3)リバ イバル・ブームは、当時世相として起こっていた復古調の流れを汲むものであったことは間違いないが、リバイバル・ブーム後期の段階には、軍歌・戦時歌謡ま でがリバイバルされるに到った という3つの特徴を持っていた。
 日本では、昭和24(1949)年ごろから、風俗の次元で急速なアメリカ化が進展した。一方で、急速なアメリカ化の対極として、「逆コース」と呼ばれる 復古的な流れも生まれた。それが昭和20年代(1945〜1954年)においての「なつメロ」カテゴリーの成立や、昭和30年代(1955〜1964年) のリバイバル・ブームに繋がっていったのであろう。
 次に、日本では、昭和30年代(1955〜1964年)の後半に、テレビが一般家庭に急速に普及していき、昭和40(1965)年になる頃にはほとんど の家庭に普及した。当時の日本でのテレビの普及は、世界的に見ても驚異的なものであり、テレビを見ることが出来なくなった時に「さびしい」「もの足りな い」と感じる人が著しく多くなるほどに、テレビは心理的にも日本人の日常生活に非常に密着したものとなった。人々は夜間においては、娯楽行動としてテレビ をよく見ていたが、娯楽番組の中の音楽番組は、10代の若者をターゲットにしたものが中心となっていた。一方で当時の流行歌は、一曲の流行周期の短期化と ファン層の低年齢化が急速に進行しており、当時第一線で生産される流行歌自体が、若者向けのものとなっていた。ここに到って、中高年層向けのポピュラー音 楽の出現が待ち望まれる状況が生じていた。
 昭和40年代(1965〜1974年)の「なつメロ」ブームが起こる直接のきっかけとなったのは、東京12チャンネルという、当時東京の一ローカルテレ ビ局が企画した「なつかしの歌声」というテレビ番組であった。当初は穴埋め番組に過ぎなかったこの番組が反響を呼び、全国のテレビ局からも番組販売の依頼 が来るようになり、全国に「なつメロ」ブームが生じていった。この「なつメロ」ブームは、他のテレビ番組やラジオ番組、レコード産業にも相乗効果を及ぼし ていった。昭和30年代(1955〜1964年)以前の「なつメロ」が、主に昔の歌のみを取り出してきて現代風にリバイバルするものに過ぎなかったのに対 し、昭和40年代(1965〜1974年)の「なつメロ」は、歌そのものを単体で取り出してくるのではなく、最初にレコードに吹き込んだオリジナル歌手を も引き合いに出し、再評価して権威づけしていこうという点に特色があった。そのおかげで、当時歌謡界や芸能界の第一線を退いていた往年の歌手だけでなく、 既に現役から退いていたり亡くなったりしていた往年の歌手までが、「なつメロ」ブームの中で再評価され、権威づけされていった。「なつメロ」ブームを支持 した当時の受け手は、その年齢に関係なく、当時の若手歌手や歌謡界の仕組みを嫌う者が多く、またそうでなくても、「なつメロ」や往年の歌手に、「現代の」 歌や歌手には無い何物かを見出し、それらと差異化して、「昔は良かった」というように「なつメロ」及び往年の歌手を権威付けしていった。
 「なつメロ」ブーム初期においての「なつメロ」とは、主に昭和初期〜昭和20年代(1945〜1954年)の流行歌のことを指していたが、ブームの後半 期になると、昭和30年代(1955〜1964年)以降の流行歌や歌手までもが「なつメロ」として扱われるようになっていった。そして、この時期は、「な つメロ」が若者のものになっていく時期でもあった。それ以前の「なつメロ」は、若者にとっては自分が生まれる前のものであり、そこに新鮮さを見出していく ものに過ぎなかったのだが、この時期に到ると、若者が自分の過去を振り返って懐かしいと思う歌全てが「なつメロ」として見出されていくようになっていっ た。ここにおいて、「なつメロ」という語が表す対象の範囲が拡散した結果、《「なつメロ」である/ない》のバイナリー・コードが氾濫していく過程を見てい くことが出来るであろう。


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